今日見た動画が非常に面白かったです。

スタンフォード大学の授業の一つらしいです。この授業の進め方が秀逸なので「なるほど」とは思うものの、別に目新しくは感じませんでした。例えば「常識を疑え」というのは、就職した人なら何度も耳にしているのではないでしょうか? 要は分かり切ったことも全然実行出来ていないということです。

ためになることを聞いた~で終わらないようにするためにも、何度も聞いているにも関わらず全然できていないことを反省しながら、自分のモノに出来ればと思います。

 

さて、恐らく多くの人は「常識を疑え」と言われて常識を疑えないのだと思います。「○○を意識しよう」という号令を掛けてもなかなか意識できないのと同じです。必然的に常識を疑う状況に持っていかないといけないのだと思います。そして、必然的に常識を疑う状況というのは次の通りに作るのだと思います。

  1. まず無理そうな目標を立てる。簡単に達成できる目標ならば常識を疑う必要はないし、あまりに困難すぎると絶対に達成できないので、普通に考えると出来なさそうだけど、出来たら良いよなぁ、という目標を立ててみる。(これは上手い表現が思いつかないので、思いついたら加筆)
  2. 必死になって考えてから、しばらく寝かせておく。離れて考えられるのは「ああ無理」と投げ出したとき。余り考えないで投げ出してしまうと悔しさが足りないのでそのまま忘れ去ってしまうけど、かなり考えてから諦めると頭の片隅にあるので、次の日など常識そのものを忘れてしまうので妙案が思いつく。

というのが今思つくことです。

楽して常識を疑うことは出来ない気がしていて、死力を尽くすことで初めて常識を疑うことができるのだと思います。

そして「常識を疑う」というのがある意味常識な気がしていてます・・・。