世の中には分かりやすいものと分かりにくいものがあって、傍から見ると分かりやすいものを追いかけているように見えるけど、実は分かりにくいものを追いかけたいな、と思った話です。
電車の中で、そんなことをボーっと考えていました。
さて、世の中には分かりやすいものと分かりにくいものがあります。
マックのハンバーガやポテトは分かりやすい味で、和食の繊細な風味は分かりにくい味です。
イラスト展は分かりやすい芸術で、ルーブル美術館に置いてあるような絵画は分かりにくい芸術です。
分かりにくいものが高尚であるというわけではありませんし、分かりやすいものが良いものであるというわけではないです。
ただ分かりやすいものと分かりにくいものがあるだけです。
分かりやすいものは広く受け入れられていることが多いですし、分かりにくいものは避けられていることが多いです。勿論その限りではないですが。
分かりやすいものはコモディティ化していますが、分かりにくいものは希少価値が有ることがたまにあります。
野生として生きるよりもペットとして生きるほうが幸せかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、なんとも言えません。そんなもんです。
分かりにくいものを追いかけていると他人から理解されにくいし、分かりやすいものばかりを追いかけていると他の人と重複します。
分かりやすいものを追いかけているふりをして、実は分かりにくいものを追いかけていた、ということかと。背中合わせですが、これが一番理想ですね。
分かりやすいものを追いかけたがるのは自由意志に反するか?とか書いているときに思いましたが、そういうのはまた別の記事で。
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