今日の記事は気になったポストについて。気になったポストといっても、いつもみたいに興味があるXポストを貼り付ける訳じゃないです。何となく違和感を感じるポストが流れてきたので、その”何となく”を言葉にしてみようというのがこの記事の趣旨です。
その何となく気になるポストというのが下記です。
中3の夏休みにサイコロ1万回振って確率が本当にどの目も1/6に近づくのか調べてた中学生がいたけど、大数の法則ってなんなのか教えてもらってないのかな。
— おがたつ@中学数学専門 (@OgaTatsu_NAC) 2024年8月29日
それだと標本調査がどーして成り立つのか全然理解できないだろうね。
私は数学が好きだし、確率とか統計とかも勉強しているので、このコメントになんだか違和感を感じました。このモヤモヤ感を言葉に書き下すことで、自分の中でもスッキリしたいので記事をおこしというわけです。
(別にこの方のコメントを非難したいのであって、この人自身を非難したいわけでは無いです。もしご本人の目に触れるようなことがあればスミマセン)
私が違和感を感じたのは主に下記の3つです。
①実験して試すことの何がいけないのか?
この方が言いたいのは、「大数の法則を理解していれば、1万回サイコロを振ろうとはならない。大数の法則を正しく教えられなかった教育に問題がある」という事のようです。
ええ、そんな事あるか?? 大数の法則を正しく理解すると、実験する必要が無いってなるの?? 理論通りになるのかを実験を通じて確率を確認することは結構大事だし、非常に有益な事だと思います。科学的な好奇心や実験を通じて学ぶ姿勢は、すごい重要だと思っています。
②そもそも、大数の法則の理解が不正確なのでは?
例えば大数の弱法則というのは「標本が十分多い場合は、標本とその母集団の分布の期待値との差が一定数以下になる確率は1である」ということであると理解しています。なので、「サイコロを一万回振らなくても、1の目が出る確率が1/6になることがわかる」とは言えないと思います。
③標本調査が成り立つのと大数の法則は直接は関係がないのでは?
標本調査というものがが成り立つためには、統計的な手法や仮説検定に基づいて、適切な標本サイズが選ばれます。これは、大数の法則とは異なり、特定の母集団からの標本がどの程度代表性を持つか、または結果にどれだけの信頼性があるかを判断するものです。
前述より、大数の法則が意味するのは、十分多い標本から得られる平均値が母集団の平均値に近づくということです。
ということで、この方は誤解や過剰な単純化が含まれている気がします。「大数の法則が成り立つから実験する必要は無いよ」という事は全くないと思います。
この方に関してもう一つ気になるポストがありました。
高校生になって『関数わからん!』となる理由のひとつに中学生のグラフ指導があります。
— おがたつ@中学数学専門 (@OgaTatsu_NAC) 2024年8月23日
「細かく点を取ってみるとこんな形になるよね!」
みたいな授業をやってるからダメ。
グラフの形状をハッキリさせていくには『すべての場合』を表してる式に基づいた理解が当然必要。
なぜ式が定義かわかってる?
これも非常に違和感を感じたので、書き下してみます。
目指すべき到達点は確かにそうなんだけど、、
この方が仰る、”『すべての場合』を表してる式に基づいた理解”というコメントに対して、最終的にはこのような理解に至る必要があるとは思います。ですが、とくに抽象数学では最初からすべての場合、要は一般的な場合を想像するのが難しいというケースも結構あります。特に数学が苦手人にとっては、いきなり抽象的なことを理解するのはこんなんです。なので
- 最初に、具体的な数値や点を用いてグラフを描き、その形状を観察する。これにより、関数がどのように動作するのか、どのようなパターンがあるのかを視覚的に理解することが出来る
- 具体的な点やパターンを一般化し、「すべての場合」をカバーする式や定義に基づいた理解をすることで、具体的な例から抽象的な概念へと進むことで、数学の本質的な理解が自然に深まるのではないか
と思います。なので、最初に細かく点を取ってグラフを描くことが悪いことだとは思わないし、むしろ理解の一歩目では。
この方は「本質を理解したら、それ以外は考えなくてもよい」と思っているのかもしれません。
間違った理解を振りかざすのは怖い
これって他人ごとではなくて、間違った理解がそのまま正されず進んでしまうというのは恐ろしいと感じました。この方だけではなく自分にも当てはまるのかと思います。
こういう間違った理解を正せないのであれば、私のような仕事であれば間違った議論が進んで、知識の深化や問題解決から外れてしまうし、この方のような教育の仕事をされているのであれば、不信感や学びの機会を失うきっかけになってしまうのではと思いました。
だからこそ、ちょっと痛い目を見てでも正す必要はあるのかと。
それと、最も違和感を感じたのは、批判めいたポストが多い事です。本人は問題点を指摘しているようですし、教育に関する批判は一部は妥当なのかもしれませんが、数学の学習の仕方については余り合意できませんでした。
それより、批判している内容がそっくりそのままご自身に当てはまるのでは、とさえ思ってしまいました。
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