ブログ継続中です。本日は週刊誌について。
古市さんが週刊誌の在り方について意見をしたことで、議論を呼んでいます。
「#とれたてっ」という番組で『週刊文春』は廃刊にした方がいいとコメントしました。それは今回のフジテレビ問題の「修正」に関して責任を取るという意味もありますが、文藝春秋社で働く社員を含めて、『週刊文春』が多くの人を不幸にする仕組みだと思うからです。…
— 古市憲寿 (@poe1985) 2025年1月31日
「多くの人を不幸にする仕組み」というのは、一定の理解をします。ちょっと分からなくもないかな、といった感じ。
先日見た記事のように「週刊誌が余計なことをしたから中居氏が引退しなければいけなくなったんだ」みたいな意見よりはよっぽど理解できます。
中居正広引退に「週刊誌のせいで」と怒る“ヅラ”たちの思考回路 GACKT&エハラマサヒロ…著名人のミスリードも https://t.co/RFrYT5Gepd
— shuichi-o (@SHU10038) 2025年1月28日
週刊誌のせいだという気持ちも分からなくは無いのですが、そもそも問題を起こすのが悪いのかと。
週刊誌というのは必要悪であるというのが私の考えです。
確かに傍から見ると中居氏の人生は潰れてしまったのかもしれません。芸能であんなに活躍していたのに、こんな終わり方で残念な気持ちになります。
でも、関テレの大多社長の会見を見る限り、中居氏に対する怒りのようなものが見えました。多くのテレビがまるで手のひらを返したように中居氏の番組を終了することに違和感を感じました。ですが、しかして中居氏がフジテレビ以外でも問題を起こしていて、これまで目をつぶっていたけど、スキャンダルを機に愛想が尽きた、と考えると違和感に対して辻褄が合います。真実は分かりませんけど。
仮に中居氏が悪行を繰り返していて、その一部を暴いたとなると、結構な仕事をしたことになります。なので週刊誌は必要悪ではないかと思います。
そう思っているときに下記のポストがありました。私はどちらかというと三浦さんに近い考えですね。
週刊文春を廃刊にという声があるが、ジャーナリズムにとって、最も誠意がある態度というのは、廃刊にせず、きちっと謝り、仕事で返していくということ。マルコポーロ事件や新潮45の轍は踏まない方がいい。批判は高くなりすぎた評判ゆえ。批判されながらやっていくのがよい。
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) 2025年2月2日
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