本日も頑張ってブログを更新します。今回のテーマはニヒリズムとミドルエイジクライシス。(2つのテーマを統合して書こうとしているので、書き出しに困ります)

 

まずはニヒリズム。

ニヒリズムに興味を持つきっかけになったのは高校の倫理の教科書です。教科書では哲学についてあれこれ解説されていて、テスト勉強がてらに興味を持ちました。高校生の時って中二病が治っていなくて、哲学とか科学とか難解だけど何となく崇高そうなものに魅せられる時期でした。なので倫理の教科書を皮切りに、図書館で哲学の本をいくつか読んでみました。

最初は「哲学=格式高くてカッコいい」とか「哲学を学ぶって何かインテリで賢そう」なんて邪なことを考えていました。でも、哲学の考え方って多感な思春期に刺さるものがあるんですよね。特に刺さったのがニーチェのニヒリズムですね。

誰でも思うのかもしれませんけど、「人生って何だろう?」とか「自分の幸福は何処に有るのだろう?」なんて思春期には考えちゃったりするもんですよね。頑張って勉強していい大学にいったとしても、その先に何があるのかなぁ、なんて。そんな感じで、ちょっとニヒリズムっぽい考えに陥っていました。

思春期という楽しけど、どこか虚無な期間が続く中で、ここから何か転機があって超人へと変貌していけばいいな、なんて妄想もしていました。

 

当時は図書館で本を借りたり本屋で買ったりしないと哲学については学べませんでしたが、最近では解説動画やネット記事が揃っています。

 

つぎにミドルエイジクライシスについて。「ミドルエイジ」の厳密な定義は不明ですが、それなりにベテランになって成果を求められるようになり、周りからあんまりチヤホヤされなくなった時期を指すとしましょう。

成果を求められるようになるので、マイルストーンに向けて計画を立てて推進し、その過程で適度なプレッシャーがあるわけです。思う様に上手く行かないこともあり、褒められることもなく、仕事ばかりが積みあがっていくので、ふと「あれ?自分の人生ってこんなんで良いんだっけ?」なんて思う事もあります。

こういう状況は”コンフォートゾーンを抜けている”と捉えて良しとする考え方もあります。でも、コンフォートゾーンを抜け出すと当然楽ではなくて、夢も希望も無かったりする気がします。そんなわけで、自分を見失いそうになりなります。

 

そんなことがあったので、最近ミドルエイジクライシスについての動画をいくつか見たりしていました。

raise-tech.net

 

こういう静かな危機的状況で感じることは思春期でも同じことを感じたように思えます。なので「ここでニヒリズムの登場か?」なんて思いました。Wikipediaの解説記事の言葉を借りるのであれば、永劫回帰のもとで自分を創造的に展開することで、もしかして超人に近づいているのでは?なんて思うようにすることにしました。

shu10038.weblog.to

 

最後にこういう考え方もあるんだよ、という事で下記の記事を貼っておきます。

shu10038.weblog.to

 

特に結論は無いけど、もし虚無の先に変貌があるのであれば、虚無であることも割と大事なのかもしれませんね。