本日はふと思ったことを書き留めてみます。
なんか最近「手放す」というのが出来ない自分がいます。物事をうまく進めるためには、必要な時に何かを手放すことが大切だと分かっているはずなのに、どうしても手放せないわけです。変な”拘り”があるというか。
職人気質のようなこだわりは時に大切ですが、一方でそのこだわりが邪魔になることもあります。
私の場合、自分の得意な分野に物事を進めたがる傾向があります。
例えば、私は確率や統計が得意なので、最近流行りのTransformerベースのOSS(オープンソースソフトウェア)を使うのを避けてしまうことがあります。
「確率モデルやベイズの手法のほうが自分らしい」とか、「安易にOSSを使って他の人たちに埋もれてはいけない」といった思いが、心の奥底にあるのかもしれません。
手放せないものの正体
こんな感じで自分が簡単には手放せないものを列挙するとこんな感じですね。
- 過去の成功体験
- 人から良く見られたいという欲求
- 自分らしさや「こうあるべき」という理想像
- 手っ取り早く稼ぎたい気持ち(会社での評価を上げたい気持ちも含む)
- 他人が褒められたり成功していると、自分が損をするように感じるゼロサム思考
こうしたこだわりはどこから来るのか考えてみると、一つは「面倒くささ」かもしれません。
例えば、過去の成功体験や慣れたパターンにすがるのは、勉強不足や新しい方法を知るのが面倒だからです。知らない手法を学ぶより、知っている方法に逃げてしまうのです。
もう一つは「執着」でしょう。
人から良く思われたいという欲求は、承認欲求という本能に近いものかもしれませんが、普通にしていても嫌われたり孤立することはあります。だから、変にこだわる必要はないのだと思います。
自分を巨視的に見直すと、そんな自分の一面が見えてくるわけです。
手放すことでストレスが軽減される
「自分はこうでなければならない」「上手くやらなければならない」と思い込むと、うまくいかない時に強いストレスを感じます。
私の場合、知らず知らずのうちに過去の成功体験やカッコいいイメージに自分を当てはめ、勝手に「こうあるべき」と決めつけてしまい、その決めつけに固執してしまいます。頭が勝手に働いてしまうのです。
仕事においても、自分らしさにこだわるより、上手くいく方法を素直に取り入れたほうが楽だと感じます。
自分をよく見せるためにオリジナリティを追い求めるのを手放したほうが、結果的にうまくいくことも多いです。
手放すことはアンラーンに似ている
こうした「手放すこと」は、以前話題になった「アンラーン(unlearn)」に似ている気がします。最初にこの言葉を聞いたときは「何それ?」と思いましたが、だんだん理解できてきました。
こだわりを「アンラーン」することは、とても重要なのかもしれません。
今、この状況に必要なものは何か?本当に今の自分に何が必要なのか?自分はこうあるべき、という考えは間違っていないか? そう自問自答しながら、雁字搦めになった執着を手放し、もっと合理的に生きることが大切だと感じた今日この頃でした。
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